試練からのギフト⑤父の治療拒否
家族が急病で入院、意識がない状況や認知症の場合は身元保証人(引受人)である家族が治療に関する説明を受けた後に同意書にサインをして治療を開始する流れです。
意思決定の代行(代諾)は近親者・家族・3年以上一緒に暮らす同居者が決めることになる。
引用元 インフォームド・コンセントについて より
しかし、もしも点滴や輸血などの治療を患者本人が拒否したら・・・皆さんはどうしますか?
今回の内容は「父の治療拒否」
突然起こる家族の入院に際して事前に知っておいて欲しい!と感じたことを『試練からのギフト』シリーズ(単発読み切り)としてまとめています。
これまでの内容はコチラ↓
試練からのギフト①父の入院
試練からのギフト②救急医との面談。延命治療の意思確認
試練からのギフト③父の病状説明と特養からの受け入れ拒否
母、試練からのギフト④まさかの病院も入院拒否!?
父の抵抗に遭遇
帰る時に提出する面会票がないとこちらの病院は出られないシステムなのだが、どこを探しても見当たらない・・・。
デラコ「ちょっと私、父の病室見てくるね。母をよろしく!」と兄に伝えて7階に向かう。
父の病室に入ると、担当医師、看護師長、ナース2名ぐらいが父のベットを囲んでいた。
なにやら不穏な空気・・・
父「俺は治療はしない!」と父が激昂(げきこう:感情がひどく高ぶること。ひどく怒ること)していた。
担当医「小野寺さん、いまね貧血状態だしご飯も未だ食べれないから点滴をしないと危険な状態なんですよ。」
父「どうなったっていいんだ!死ぬならばそれは俺の寿命だ!お前は敵だ~」
およよ、何があったんでしょう・・・。
デラコ「お父さん、どうしたの?」と優しい声で背中をさすってみる。
父「こいつらはなんなんだ~!俺は家に帰る~。」
直感でこれは入院によるせん妄だなと思った。
せん妄とは一般病院の入院患者さんでは10-30%程度に発症すると言われており、決して珍しい病気ではありません。典型的には、比較的高齢の患者さんが何らかの病気で入院したり、手術を受けた後に、急におかしなことを言い出したり、幻覚が見えたり、興奮したり、安静にできなくなってしまいます。 引用元「せん妄」とはどのような病気ですか?より
私は10年前に母が長期入院した際に、せん妄になった母に対峙する経験をしていたので動じずに、背中をさすりながらゆっくり優しい声で話してみた。(”ほめ介護”スキルの1つ、ユマニチュードの実践)
デラコ「お父さん、実はね・・・昨日吐血してね、今病院にいるんだよ。点滴がいやなのかな?」
父「いやだ。そんなものはしない!」
デラコ「やりたくないんだね・・・、わかった。ちょっと先生たちと相談してみるね。ちょっと待っててね!」と一旦部屋からみんなで離れた。
家族としての介入
私はファシリテーターとして、医療側と患者側である父の合意形成にトライすることにした。
長引きそうな予感がしたので、兄にLINEで「ちょっと時間がかかりそうなので、しばし待ってね」と一筆入れ、ナースステーションにて父担当の研修医から私が救急に行っている間の説明を受けることに。
ナースステーションに訊いたら、私の面会票が保管されていた。ひと安心。
研修医「お父様の治療内容についてなのですが・・・」というので、手帳を出して私が把握している内容を口頭で伝えた。
研修医「おー、しっかり把握されています。実は脱水の危険もあるので、点滴をしないとマズいのですが、昼に外しちゃって大騒ぎでして・・・」
デラコ「えー、申し訳ございません。」
研修医「今のままのご様子だと治療が進められません・・・。」
話の途中で兄からライン電話が・・・「お母さんがもう限界だ。」と言うので、間もなく降りるからしばし待ってと切る。
デラコ「おそらくなのですが、父は身体拘束が相当嫌だったんだと思うんです。「トイレに行きたい。」と歩いて行きたがっていたのと、たぶん近いから自分で行けると思うんですね。尿カテーテルを外していただき、拘束着を着ないで一晩ゆっくり寝かせてあげてもらえませんでしょうか?もしかしたら落ち着くかもしれません。」
研修医「ちょっと上の者と相談させてください。」
2分後ぐらいに尿カテーテルを外す許可をもらい、父の所に戻った。
デラコ「お父さん、間もなくねオシッコのクダ取ってくれるって。良かったね。自分でトイレ行きたいでしょ?」
父「自分で行ける。さっきはごめんな・・・」
デラコ「しょうがないよ~。やだったんでしょう。ゆっくり寝て、明日また考えよう。お母さんの所行ってくるね。明日また来ます。」
父の抵抗と落ち着いた理由の分析
父が治療について抵抗したのは身体拘束の恐怖であり、人としての”尊厳”が浸食されたと思ったからだと感じた。
私は医療側にとっては当たり前で治療行為の一環である”身体拘束”がいかに患者にとって辛いかを知っていた。
以前東日本大震災後にボランティアスタッフとして何度かサポートしたキャンナス東北の理学療法士さん(当時20代後半男性)がオムツを装着して身体拘束で一晩寝るという体験記を読んだことがあったからだ。
オムツをするだけでもプライドが傷つき、もよおした時にオムツに排泄すること自体にものすごく抵抗があったと書いていた。しかも両手はミトンで覆われ、自分で外せないようになっている。そのことは相当な恐怖だったらしい。
身体拘束は高齢者が入院時には当たり前のように行われている。それも点滴やカテーテルを外すことで生命のリスクを防ぐためにやむを得ないと知りつつも、患者本人にとっては精神的に負担なのだということを理解することで、
「しょうがないんだよ、我慢して!」から、「辛いよね・・・大変だよね・・・」へ労う言葉へ変わるのではないだろうか?
気持ちを吐き出すこと、共感されることで心は落ち着きを取り戻す。
入院初日に父もそれを経験したんだろうと推測できたので、医療側に進言できた。
試練の時だからこそ、気づけるギフト。
私は時々自分の生き方はこれでいいのだろうか?今後どうしていこう?と不安に苛まれることがある。
しかし、これまで学んできたこと、そしてご縁や見識が家族のために活かされることで、自分自身の人生を肯定することができた。
面会票を紛失したことが功をそうした。忘却力もたまには役に立つものだ。ふふふ
1階の救急外来に戻り、会計に面会票を見せたら「今日は遅いので現金受け渡しが終了しております。債務書にサインをお願いします。」と言われ記入後に、タクシーを予約して帰宅。
下血のリスクが解決していない母の在宅介護が始まる・・・。家族としてやるしかないと肚を決めた。
続く・・・