ほめる生き方:30歳過ぎても反抗期で親不孝だった私の関係修復

私は「ほめ介護」というテーマでブログを書いておりますので、

「デラコちゃん、親孝行だよね。」

「仲良し親子でうらやましい・・・」と言われますが、

小学校高学年ぐらいから、30代後半ぐらいまで親子喧嘩の絶えない反抗期がとても長かった娘でした。

人は変わりたいと思えば、変われるものですね。

今回のブログは、自分の辛かった時代を振り返りまして、それを克服したキッカケについて書きたいと思います。

学校の先生の子どもは辛いよ

私の家族は、祖父が小学校の校長、祖母が幼稚園の園長、父が中学の校長、母は兄二人を預けて働くワーキングマザーの草分け的な小学校教員(3人目の私を生んで退職)、次兄は小学校の現役の教頭という、教員一家です。

長兄と私だけサラリーマンの道を選び、今はお互いに好きなことを仕事にして自由に生きております。

そういう兄がいてくれて良かった。

小学校の時から、兄二人は生徒会長をする優等生でした。

私はというと、感受性が強く泣き虫な、今でいう所のHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)超敏感な子ども。

繊細過ぎてストレスから下痢や発熱など起こす、自家中毒症も診断されたことがありました。

通信簿には「落ち着きがない」と書かれ、大人になった今、ADHD(注意欠如・多動症)の気質を持っているなぁと自覚しております。

多動のエネルギーは良い方向に使って、おっちょこちょいは笑いに変えて・・・。ふふふ

幼少期は小児ぜんそくを患い、偏食の小食でガリガリ、朝寝坊、そして生意気なことを言い返す・・・

そんな子どもでしたから、叱られてばかりいました。

「私はきっともらわれっこなんだ・・・」と思っていたある日、

どっちかの兄から、「美和は橋の下で拾われたんだよ。」と言われ、

「いつか本当の親が迎えに来てくれる。」と、本気で信じていた時もあります。

小野寺家の当たり前

うちの父は昭和6年生まれで、母曰く戦中戦後の優等生。

仕事が終わったらまっすぐに帰ってくる真面目人間で、ご飯は正座。来客時には正座に三つ指であいさつ。

思春期になったら、「お父さんの仕事に影響が出るから、絶対に悪いことはしてはいけない」と釘を刺されました。

テストでは90点以上を取れと言われ、70点台だと叱られました。

高い点数を取ったとしてもほめられはしません。当たり前だから。

当たり前のレベルが高めだったんですよね・・・

高校生になって成績は落ちました。当時の親友の一人が中学時代あまり評判が良くなく、

「〇〇〇とは付き合うな」と言われ、口答えしてビンタされたこともあります。

高校を卒業したら地元で公務員になって、早く孫の顔を見せてほしいと言われて来ましたが、

上京して会社員からフリーランスへ転身、未だ独身と・・・親の期待に背いた人生を歩んできました。

私の転機と更生を決意したキッカケ

大きな転機は、東日本大震災です。

震災当時、大津波と火の海に包まれた気仙沼のニュースをテレビで観たときに、

両親も親戚も死んでしまったかもしれない・・・と覚悟しました。

10日ぐらい経った頃だったかなぁ・・・ Mixiに父らしき人物の目撃情報が載ったと友人が発見してくれました。

仙台⇔気仙沼間のバスが動き始めたころに、仙台の次兄が町民体育館に避難していた両親を救助に向かいました。

「ご近所さんと離れたくない、ここに残りたい。」という両親を説得して、仙台の兄の家で数日すごし

やっと動いた仙台⇔新宿の高速バスで東京に送り届けてくれました。再会した時はホッとしたものです。

横浜の長兄の家で両親を住まわせてもらいましたが、生活リズムの違いから同居は無理・・・となった頃、

気仙沼のいとこから「”目黒区が気仙沼の姉妹都市だから、仮設扱いで住居を提供している。”と三陸新報に載っていたよ。」と連絡をくれました。おかげで住まいを確保。 車を持っている友達が買い物や、親の移動を手伝ってくれて本当に在りがたかったです。

残業が多く激務だった会社員時代、両親のサポートは本当にしんどかったです。

心のケアの仕方も学ばないまま、震災のストレスを抱え、認知症を発症している母の世話をする父と、

食事や介護、治療方針の違いでぶつかることも多かったです。

そんな中で、2011年の年末にリストラ宣告をされました。

実家を失くし、仕事も失う。度重なる不幸に「神も、仏もいないのか???」と思いました。

しかしそれは、資金や時間といった学ぶ環境が整い移行する時期のサインであり、

「学びながら実践したからこそ自分は変わり、過酷な状況を乗り越えられたのだ。」今は思えます。

退職金を元手に、アイムパーソナルカレッジのカウンセラーコースに通い、

授業の宿題で出た「ほめる日記」2週間がきっかけで、ほめ達!と出会い、2012年12月8日に3級を受けました。

誕生日の翌日だったので、私は会場の皆様全員から拍手でお祝いしていただいたのです。

その時に知らない方々からの笑顔の賞賛や「ほめる」ことを通じて、こんなにもエネルギーをもらえるのか!ということに感動し、

心も体も弱っている両親をほめようと決めました。

両親が笑顔を取り戻し始めたのをキッカケにして、「東北を元気にしたい!」と、

キャンナス東北さんに連絡をして、ボランティアサポーターとして「ほめる」をテーマに石巻や気仙沼でワークショップを始めました。

現在はアイムパーソナルカレッジでアドラー心理学を教える鶴田先生が主催の日本支援助言士協会

支援助言士(コミュニティ・カウンセラー)を取得したのがきっかけで、業務執行理事として運営に携わっています。

ご縁を大切に生きることで今につながり、素晴らしい方々と沢山出会えました。

ほめる生き方を選んで変わったこと

ほめ達の「ほめる」とは、『人・もの・(起きる)出来事の価値を発見して伝える。』です。

ほめる達人とは、全ての人の成長や可能性を信じる人。

認定講師養成講座の初日に、『認定講師は”ほめ達”の体現者となれ。』と指導されます。

私は80代を過ぎた両親で日々実践しようと決めました。

人間は無意識にマイナスを観る習性がありますが、

「全ての人には価値があるのだ」と意識して観ることで、

気づかなかった良い所に気づく頻度が上がります。

ほめ達として「ほめる生き方」を実践することで、

自分の視野、物事の捉え方が広がり、「自分自身の成長」を実感できるようになれたのです。

自分が変わることで『相手に影響を与えることは出来る』

ほめ達は、『「ほめる」を相手をコントロールに使わない』という原則があります。

コントロールしようとすると、相手に伝わるんですよね。

人間ってすごいんです。分かっちゃうんです。

しかしながら、相手を変えることは出来ないけれど、

自分が変わることで、相手に影響を与えることは出来ると実感しております。

上京してきたばかりの頃、知り合いもいなくて、体もしんどくて

「帰りたい・・・迷惑かけたくないから死にたい・・」と言っていた母が、

現在は、「こっち(東京)に出てきて幸せだ。」

厳しくて褒めてくれなかった父も、

「美和に感謝している。」

「いつもありがとう」と沢山誉めてもらえるようになりました。

そんな自分の体験をブログに書いたのがキッカケとなり、千代田区の社会福祉協議会様よりご依頼をいただき、

11月28日に「自分も家族も笑顔になる!介護にも活かせる!ほめる生き方」講座を開催いたします。

千代田区在住・在勤でなくても、どなたでもご参加いただけます。

【日 時】11月28日(水)14時00分~15時30分

【場 所】かがやきプラザ1階 ひだまりホール

詳しくは<コチラ>をクリックしてください。

しっかり学びたい方へ

日本支援助言士協会にて

『ムリなくほめれる!?ほめ達デラコの“ほめトレ”ワークショップ』を開催いたします。

少人数制(8名様限定)で楽しく対話をしながら学べます。

【日 時】2月9日(土曜日)13時00分~17時00分
【場 所】日本支援助言士協会 セミナールーム

詳しくは<コチラ>をクリックしてください。

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