両親がコロナ発症、入院。

ほめ達カウンセラー・デラコでございます。皆様お元気ですか?
コロナ禍に入って2年間、親の施設入居により環境の変化、介護ロス、失恋など色々なことが立て続けに起こり、アウトプットする気力が枯渇して長期間ブログをお休みしておりました。

充電期間を経て、これまで私が介護で経験した苦難を、どういう心構えでどう乗り越えてきたか、ノウハウ化して書きたいエネルギーがようやく戻って来ました。

2022年1月半ば特別養護老人ホームに入居中の両親のコロナ発症・入院に際し、家族としてどういう対応を求められたかについて是非お伝えしたいと奮起しまして、シリーズで書こうと思います。(基本的に単発で読みきりで書きます。)

家族が発症した当事者になり医療現場に出向いたことでコロナに対して自分の認識に変化が起きました。経験から得た気づきをふまえて、乗り越えるためのヒントとして心構えも書き添えました。皆様にとって何らかの参考になれば幸いです。

今回の内容は両親の近況と、母の入院についてです。

両親の近況、家族介護者としての心境と心がけたこと。

90歳の父、91歳の母が特別養護老人ホームに入居して約8か月になります。

東日本大震災で被災して10年が経ち、2020年半ばから父は要介護3,母は要介護4になりました。父は一昨年夏の入院以降足腰が衰えはじめ、食事・トイレは自分で出来るけれど、母を介護する体力、記憶や思考力、気力の低下が現れてきました。母は自立歩行は出来る、着替え、お風呂、トイレ、食事は要介助。おしもは失敗が増え、布団をほぼ毎日洗濯しなければならず、洗える布団や使い捨てシーツを用意して、ヘルパーさんや兄と連携しながら毎日が必要な状況でした。

心構え:家族の衰えを目の当たりにすることは残念ではありますが、年齢的に自然なことだと受け止めました。あるがままを受け止め、受け流すが家族介護の秘訣です。(とはいえ人間なので心に余裕がない時は難しいので葛藤しつつも努力してきました。そう在りたいという何らかの指針を持つって大事ですね。)

2019年頃から母は認知症のBPSD(周辺症状)により冷蔵庫をあさって汚す・突然歌う・徘徊等が増えました。母が「どちら様ですか?」と、父のことを認識しない時など、突発的に怒りが抑えきれなくなる父は時々暴言や暴力をふるうことが増えていきました。怒りのコントロールが難しくなるのも老化現象の1つです。そうしてしまうのもやむを得ないと思いつつ、二人だけの時に思い詰めて突発的に殺めてしまうのではないか、徘徊で事故に巻き込まれたりするのではないか・・・と常に危機感を覚えていました。

心構え:声を荒げたり、小突いたりする際に悪いことをしてしまったという自覚は父自身にあります。そういう時には「お父さん辞めて」と落ち着いて制して、責めずに「辛いよね。分かるよ。よくがんばってるよ。」と肩や背中をさすりながら慰めました。そうすることで、父だけではなく私自身の心的負担が軽減されました。

デイサービスに行かずに二人だけで過ごしている時にけんかや徘徊することが増え、「二人暮らしは限界かもしれない」と実際に看てくださっている介護チーム(ケアマネージャーさん、訪問看護師さん、ヘルパーさん等)や家族と話し合っておりました。ここ3年ぐらいは徘徊により昼夜問わず警察から呼び出されたり、父による介護サポート拒否により私が介護に出動など、肉体的、精神的にも負担が徐々に増えておりました。もうね、起きて寝るだけで精一杯。介護中はそうなっちゃうものだと悟りの境地でした。

心構え:介護中は仕事やプライベートも犠牲にすることは多々あり、イライラしたりグッタリして何もできない自分に苛立ちや不安を覚えることも増えます。そんな時は「必ず終わりはいつか来る」と自分に言い聞かせながら、上手に息抜きをしたり、ネガティブな自分を労ったり、健やかでいられる自分の体に感謝したりする自分とのコラボパワーを育みながら乗り越えています。入院サポート中の今まさに鍛えてる真っ最中です。

コロナ禍の介護とプレッシャーについて

私はコロナウイルスに対してそんなに恐怖心は持っていません。ウイルスはどこにでもいるものだし、冬に風邪をひくのは当たり前。風邪とは本来体の調子を整えるためにひくものであり、経過するものと思っているからです。その概念は風邪の効用を読んで得ました。健康な人にとっては一家に一冊のバイブルとしておすすめです。

しかし、後期高齢者の両親は免疫も衰えており、感染した際に抗体なども作られにくいため、重症化を防ぐためにワクチン接種が推奨なんですと説明を受けました。ワクチンを受けさせれば良かったのか?と悩みましたが、打ちたくない父の意志を尊重したことに悔いはありません。

コロナ禍の介護で何がプレッシャーかというと、両親が発症した場合、訪問看護、デイサービス、ヘルパーさん、訪問診療医、ケアマネージャーさん等、サポートしてくださっている方々が業務停止になること。ご迷惑をかける範囲が大き過ぎる点です。インフルエンザとそこが異なるのです。2類ではなく5類だったら心理的負担は軽減されたと思います。(2022年の入って陰性ならば従事可能など、色々ルールが緩和されてきているようです。今後欧米なみに解除されていくことを期待します)

両親が発症した場合、私か兄が両親の家で泊まり込みで1人で介護しなければならないし、家からも出られない状況に陥るだけでなく、自分自身が発症するリスクも生じてしまう。周りへの悪影響の度合いや自分が担ったかもしれない介護を想像すると身震いがします。在宅で発症しなかったのは両親の生きる力と色々なご加護のおかげだと思っています。

ブログのアイキャッチ写真は2022年1月3日に面会した時のものです。母は車いす、父は杖をついて正月飾りに彩られた面会場に来てくれました。二人とも元気で長兄と共に20分弱会うことが出来ました。

その時にせっかくなので元気な姿を見せようと仙台に暮らす次兄のために、私は両親の元気な様子を動画で撮りました。(これが以後の診立てに役立ちました)

特別養護老人ホームからの連絡

2日後の1月5日に施設から連絡があり、オミクロンの蔓延に伴い面会を一時中止するとのこと。3日に会えて良かったなぁと心から思いました。(私は実は年末年始に淡路島に行き、1月2日は帰省や事故渋滞のため高速バスに3時間足止めをくらい最終の新幹線で帰京。その日の内に無事帰れたこともツイテル)

その数日後、「ショートステイ利用の方がPCR検査で陽性となったので、ご両親も念のため検査した所お二人とも陰性でした。」と連絡をいただく。

私は基本的に楽観的なので「今流行っているから大変ですよね。お体に気をつけてくださいね。」とワクチン未接種の両親の免疫の強さに安堵したものでした。

事態の急変 (母の発熱)

1月16日、施設から「お母様が15日から体調を崩して16日から発熱してらっしゃいまして、もしもPCR検査で陽性が出たら入院していただくかもしれません。」とのことでした。

父と母は本当は部屋が別々で二部屋借りているけれど、父が一緒に寝たいと強く言ったため同じ部屋にベットを2つ並べて寝ていました。「父は大丈夫ですか?」と尋ねると、「今の所平熱ですが、同じ部屋は感染リスクを避けるためお隣の部屋に移っていただこうと思っています。」

「ぜひそうしてください。」とお伝えしたが、直後に電話がかかってきた。

「忠栄さんがお母様の部屋に入ろうとしちゃうんです。どうしましょう?」とのこと。説明しても忘れてしまうらしい。

父の動きだけ注視していただくのも難しい状況なので対応策として「”コロナ療養中のため面会できません”と紙に書いて貼っていただけませんか?多分そうしたら父理解できると思います。」とお願いしてみたら、うまくいったらしい。

残念ながら母の熱は下がらないまま、17日に陽性反応が出てしまいました。「現在入院先を探しています。」と言われ、その日の夜に受け入れ先が決まり18日の朝から入院することになりました。

医療ひっ迫の中、受け入れ先が直ぐに決まったのは本当に運がいいと思う。

次話↓
父のコロナ発症・発熱による転倒・救急搬送からの~深夜の呼び出し

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